通貨経済が全国に行き渡ったのは江戸時代に入ってからで、金銀がその役割を果たしました。
江戸っ子は「宵越しのゼニは持たねエ」ことを誇りにし、ケチを最も軽蔑しました。
ところが上方へ行くと「地獄の沙汰も金次第」という拝金思想がかなり幅をきかせていることもあり倹約が行き届いていました。
ここでケチと倹約の相違を『商人生業鑑』より引用すれば・・・
「倹約と吝薔とは、心入ニ筋に分かれたり。わきまえ知るべきなり。
先ず倹約とは、身に美服を飾らず、口に旨食を好まず、身を勤め、家を治め、人に不実をせず、世間の義理を欠かぬをいうなり。
吝薔とは、我が身のために金銀を貧り、人の諦を顧みず、ひたすら宝を積み、一家親類にても無心がましき人とは往来せず、施の心なきをいうなり。
このニつは似たるようにして大分の違いあり」
・・・と述べていますが、今日に至るもその相違点はそのまま通用します。